だから僕は教員を辞めた。

だから僕は教員を辞めた。 教員時代の話

はじめに

こんにちは、りんくです。
私は、2年半前まで高校の教員として働いていました。教科は数学と情報でした。
高校の教員は大学生の頃からなりたかった職業でしたが、いざ自分がなってみると、これを続けることは無理そうだな、と言うことにかなり早い段階で気づきました。
このブログでは、私の教員時代のこと、辞めた時のこと、辞めた後のことを徒然なるままに書いていきたいと思います。

なぜ教員を辞めたのか。

今日は挨拶がわりに辞めた理由を簡単にお話ししようと思います。

私が教員を辞めた理由の一つは 部活動による時間が労働が嫌だったから です。

部活動って、平日の放課後はもちろんのこと、土日祝日の午前や午後、下手したら1日中だって練習がありますよね。
しかも、大学卒業したての若い先生なんてまず間違いなく運動部の顧問を任されるはずです。
私も例外ではなく、初任校で任されたのは女子バスケットボール部の副顧問でした。
このバスケ部の練習日程が非常にエグいもので、土日は当たり前のように終日練習試合でしたし、体育館が狭い学校だったので練習相手を招くことはほとんどなく、相手をしてくれる学校まで出向くのが当たり前でした。
しかも、生徒を学校の車に乗せて連れて行くのは私の役目でした。運転免許を取ってまだ1年半くらいの頃で、実家の軽自動車しか運転したことのない私にとって、日産のキャラバンやエルグランドを、しかも生徒を乗せて運転すると言うのはサバイバル以外の何者でもなく、非常に辛いものでした。

1年目でそんな部活を担当したこともあって、その頃から「あぁこの仕事を長く続けることはないだろうな」と思い始めるようになりました。
生徒には悪いのですが、自分の興味のないスポーツを(ただでさえ私はもともとスポーツに対する興味関心が人より薄いのに)、休みの日に強制的に見せられ、何かしらの助言を求められ、挙げ句の果てには命懸けのドライブまでしなければならないと言うのは苦痛以外の何者でもなかったのです。
ドラゴンボールのベジータ風に言えば「反吐が出そうだぜ」という気持ちで胸がいっぱいでした。

私は教員を7年間やって行ったのですが、2年目以降もさまざまな部活を経験しました。
私の顧問遍歴を列挙しときますね。

・1年目:女子バスケットボール部
・2年目:野球部・バドミントン部
・3年目:生徒会執行部
・4年目:生徒会執行部・テニス部
・5年目:サッカー部・バドミントン部・ボランティア部
・6年目:生徒会執行部・サッカー部・ボランティア部
・7年目:生徒会執行部・サッカー部・ボランティア部

スポーツに興味がなく、しかも運動部経験ゼロの私にしてはよく頑張ったのではないかと思っています。
こうやってみると、生徒会執行部が多めですが、これは私が高校の頃生徒会執行部をしていたからで、これだけはまぁ嫌ではなかったです。行事は参加するより準備する方が好きなタイプだったので。

それぞれの部活にそれぞれの思い出がありますが、それはまた別の記事で書いていきたいと思います。

部活動の何が嫌だったか。

それはもう全部と言ってしまえばそれで終わりなんですが、もう少し具体的に。

興味のないものに時間を奪われたくなかった

これは先ほどもの言ったのと同じことですね。
本当にどのスポーツにも興味がなかったので、それに自分の時間が奪われることが苦痛でした。
もし私がスポーツがある程度好きで、スポーツの指導に多少なりとも興味があれば、これもスキルアップのチャンスだと前向きに捉えて、生徒に何かを還元できるようにと頑張ったかもしれません。
でも私は部活をするために教員になったわけではありません
数学が好きで、数学を教えたくて教員になったのです。部活指導のスキルを上げたいだなんてこれっぽっちも思っていませんでしたし、そういう側面から生徒に貢献したいとも思っていませんでした。

だから、私が部活の顧問として割いている時間というのは、誰のためにもならない無駄な時間だったと思います。
私がいたからと言って、生徒に何か良いアドバイスができるわけでもないですし、役に立てるわけでもありません。この点に関しては申し訳ないといつも思っていました。
そして、いくら練習に付き合ったからと言って、教員としてのスキルが上がるわけでもありません。
部活動顧問は、ただ自分の時間を強制的に奪われるだけの苦行でしかなかったのです。

時間に見合う報酬がもらえなかった

どんな仕事についても、やりたいことばかりできるわけではないことは私も理解しているつもりです。教員を辞めた後に働いた職場でだって、特にやりたくもない仕事をやったりもしましたし。それはある程度仕方のないことだと思うんですよ。

でも、仕事でやってるんだからせめてそれに見合うだけの報酬を欲しいと思うのが人間じゃないでしょうか。そして、それなりにお金がもらえるのなら、無理矢理に気持ちを納得させることもできたかもしれません。

だけど実際には、人を馬鹿にしたような僅かな金額しかもらえないのが現実なのです。
私が働いていた学校・自治体の場合の例をあげますね。(目安ですので時間や金額には誤差があります。)

平日の指導: 1日あたり400円前後
休日の指導: 4時間以上の指導で一律4,000円 (4時間未満の場合支給なし)

平日に指導した時のお金はもらったことがないので、具体的には知らないのですが大体この程度だったと思います。
もらったことがないのは平日に指導したことがないからではなく、平日に部活動してこんだけしか貰えないということを受け入れるのが悔しかったからです。
指導簿というものがあって、指導した日は押印し、その印の個数×400円が半期ごとに貰えます。なので半年間真面目に部活を見ると9月とかに2万から3万という地味にまとまった金額が入ってくるのでちょっと嬉しい、みたいなことをおっしゃる先生もいましたが私には全く理解できない感情でした。

休日の指導については、まず4時間以上指導をしないと貰えません。土曜日に出てきて9時に開始して12時に終わると3時間なので貰えません。
また、4時間以上であれば何時間やっても金額は変わりません。定額です。
これがどんなに怖いことかわかりますよね。稼働時間ごとに時給換算すると以下のようになります。

稼働時間4時間5時間6時間7時間8時間9時間10時間
時給1,000円800円667円571円500円444円400円
(1円未満は四捨五入)

練習試合、遠征、公式戦などになれば1日がかりになることも多いため、4,000円もらえると言っても時給換算では500円以下になることがほとんどだと思います。
人の貴重な休みを奪っておいてアルバイトの最低賃金よりも安いというのは本当にふざけた話だと思います。
そもそもお金なんていらないわけで、「4,000円なんていらないから休みをくれ」といつも思っていました。

部活って普通の会社員が残業するのとは訳が違うんですよね。残業代のようなまともな額は支給されませんし、いくら長時間になっても割増されることはありません。
何も得られない仕事をするのは、想像以上に虚しいし、やり場のない憤りというか負の感情が生まれてくるものです。

リスクが大きすぎる

先ほども述べたように、私はバスケ部の顧問をしていた頃に生徒を学校の車に乗せて試合会場まで連れて行くことがよくありました。
今でも考えるだけで怖いのですが、もしこの時事故でも起こしていたら、それで生徒が怪我をしたり、万が一命に関わるようなことがあれば、私は今頃どうなっていたのでしょうか。

これって当たり前のようにいまだに行われていることなのですが、生徒にとっても教員にとってもリスクしかないのですよ。
いまだにこんなニュースがあるくらいですからね。

Yahoo!ニュース
Yahoo!ニュースは、新聞・通信社が配信するニュースのほか、映像、雑誌や個人の書き手が執筆する記事など多種多様なニュースを掲載しています。


ただでさえ部活動中の事故などは顧問の過失とされることが多いです。教員としては生徒の安全を確保するのも重要な仕事だと心得てはいますが、その反面スポーツの指導者として未熟な人間を顧問にしておいて、全て顧問のせいにするのもいかがなものかと思いすぎるほどに思っています。

ましてや顧問をしている教員は時間外労働が重なって基本的に不健康なわけで、その不健康な人間に生徒の安全を確保しろというのもおかしな話ではないでしょうか。

部活動の顧問を引き受けることは、リスクを増やすことにつながるし、それなのにお金もたいして貰えない、そこに矛盾を感じていました。
めんどくさくてリスクの高い仕事を安い単価で押し付けられたら誰だって嫌じゃないかと思います。

おわりに

今回は最初の記事ということで、私が教員を辞めた理由についてお話ししました。
今後は教員時代のことや、教員を辞めた今のことなど、いろいろと書いていきたいと思っています。

今は教員とは全く違う仕事をしているので、仕事の話も多少はできれば良いかなと思っています。

ぜひ次の記事もご覧ください。

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